神奈川県の北西部。都心から電車でわずか1時間の「丹沢」と呼ばれる長閑な山々の南端に、鳥の囀りが心地良い「丹沢HERBS」のハーブ畑が広がっている。現在は15種類のハーブを育てながら、人びとの手によって畑は経験を積み、「ハーブ」という新たな可能性と日々向き合っている。巡る季節とその反復がこの土地の自然と風景に循環を生み、近隣地域を巻き込みながらハーブティーを日常へと導いていく。
収穫が最盛期を迎えたハーブ生い茂る夏の入口の畑にて、丹沢HERBS農園統括の河野さんに、ハーブ栽培からハーブティーの販売に至るまでのプロセス、この畑のあるべき姿についてインタビューさせていただいた。
-まず、丹沢でハーブの栽培をはじめた経緯について教えていただけますか。
河野:丹沢には弘法山(こうぼうやま)と呼ばれるハイキングコースにもなっている山があって、その中で、もともと僕はシクラメンなどの花苗を育てていたんです。地域に卸したり、時々マーケットにも参加しながら花の販売を続けてきたのですが、どうしても安値で買い叩かれてしまう問題がありました。購入してくださるお客さまの年齢層が高齢ということもあり、地域とのつながりをもちながらも販路を広げ、継続的に生産を行っていくための新しい糸口を探していたんです。そんな折に「ハーブを植えてみてはどうか」という提案をいただいたことがきっかけで、2021年より花苗の栽培に加え、丹沢HERBSとしてハーブの栽培もはじめることになりました。
-シクラメンなどの花苗を育てているハウスの奥にハーブ畑が広がっていますが、この畑は以前からもあったのでしょうか。
河野:たまたまハウスの奥に以前から管理していた畑があって、主に根菜類を育てていたのですが、その畑を引き継いでハーブづくりにトライしてみることにしたんです。畑には農薬も化学肥料も使用していなかったので、ハーブづくりに活かせるんじゃないかと、宮城県の蔵王町でハーブを育てている「ざおうハーブ」というハーブ農場の方にこの畑を見ていただき、どんなハーブが向いているか監修してもらうことに。当初は彼らから苗を仕入れて植えていたのですが、いまでは自家採種できるようになり、完全にこの畑だけで自走できるまでになりました。
野菜だけだと雨の日は畑で作業できない日もありますが、ハーブは加工もできるので、乾燥やパッキングなどの工程は室内でも手を動かせられる。天候に左右されることなく作業できるようになりました。
-偶然にもハーブが育てられる環境が揃っていたわけですね。畑はかなり生い茂っていますが、現在は何種類ぐらいのハーブを育てているのでしょうか?
河野:現在は約15種類です。当初も大体13種類は扱っていたのですが、歩くスペースがないほど目一杯ハーブを植えたにも関わらず、無事に収穫できたのはレモングラスぐらいで、それが初年度の収穫の半分を占めていました。多品種のハーブを栽培していたので常に問題と対峙することばかりでしたが、ひとつひとつに向き合いながら課題を解決していき、いまの形に落ち着いてからは、毎年1種類は新たなハーブの栽培にチャレンジするようにしています。パッションフラワーやゴツコラは最近育てはじめた品種ですね。
-想像よりも難しいんですね……。これまでに育てるのが大変だったハーブはありますか?
河野:ペパーミントは大変でしたね。地植えすると横に広がっていく特性があるので当初はプランターに植えて育てていたのですが、昆虫に食べられてしまったり、日差しが強すぎたのか初年度はほぼ全滅……。でも、畑をいまの場所へ移してからは木陰があったおかげもあって、元気に育つようになりました。丹沢の気候がハーブ栽培に向いているのは確かなのですが、ハーブにはアジア原産のものもあれば、ヨーロッパ原産のものもある。まずは品種の原産地を理解しながら、実際にハーブを植えてどう育つかを自分たちの目で確かめながらやるほかなかったんです。さらには同じ畑でも、場所によって水分の含有量は異なりますし、そのあたりは手を替え品を替え調整していきました。
-ミントの栽培に苦戦したというのは意外でしたね。
丹沢HERBSのブレンドを手掛けている服部留美さんという方がいらっしゃるんですが、彼女も驚いていました。と言うのも、ミントを軸にハーブティーのブレンドを考えていたみたいで……。なので、当初考えていたアイデアを崩しながらも、収穫できる限られたハーブの中から2種類前後を組み合わせて商品を考案してもらいました。レモングラス、レモンバームをブレンドした「ひといき」や、セントジョーンズワート、ジャーマンカモミール、レモングラスをブレンドした「やすらぎ」など、最終的には6種類のハーブティーを展開することができました。
-ブレンドにも試行錯誤があったんですね。丹沢HERBSでは、ハーブの栽培から乾燥、パッケージングに至るまで、すべて手作業を貫かれていますが、どのような工程を踏んでハーブティーを生産しているのでしょうか。
河野:例えば、このカレンデュラは小さな花をひとつひとつ手摘みで収穫していて、花びらを一枚ずつ目視しながら昆虫がついていないかを確認し、水洗いしてから乾燥させているんです。夏場はハーブの最盛期、収穫のピークになります。花が咲くのがこの時期の3ヶ月間だけなので、一気に作業を進めなくてはならず、想像以上に大変でした。今年は3,000g収穫したのですが、花一輪が0.1gほどなので、約30,000輪の花を摘んだことになります。すごく細かな作業ですが、そういった経験を積み上げた先に丹沢HERBSの美味しさがあると思っています。
乾燥は機械を使って行いますが、葉は50℃、花びらなどは45℃に設定し、ものによってさらに温度調節しています。乾燥させたハーブは、2021年の収穫分から毎年アーカイブしているのですが、服部さんが言うには、香りは2年ほどで徐々に弱まってくるそうなので、ハーブティーだけでなく、精油、石鹸など、ハーブのあらゆる可能性にも目を向けていきたいと考えている段階ですね。
-先ほどのミントのお話もそうでしたが、場所や環境、その年によってもハーブの育ち方に変化がありそうですね。農薬も化学肥料も使用せずに栽培していく中で、やはり鍵になるのは土づくりになりますか?
そうですね。常に土壌の様子を見ながら、「今年は耕そう」「この冬は越せそうだね」と、都度判断しながら必要なハーブには腐葉土を混ぜるなどして土づくりしています。まずは、この山の落ち葉を掻き集めるところからはじめ、それをコンポストに移して足で踏み均しながら腐葉土をつくっていく。丹沢は名水が湧き出ることでも有名ですが、ここでは井戸水を農業用水として使用しているので、この土地の生態系を最大限活用させていただいてますね。
-この丹沢という環境資源を活かし農業に携わる中で、どのようなことにやりがいを感じていますか?
河野:普段はこの畑を見ることに精一杯で、あまり外に目を向けられていないところもあります。ですが、自分たちができることを着実にやっていく中で畑に来訪いただく機会があったり、商品を飲んでいただいた方から「香りが強くて美味しかった」といった声をいただいた時はやりがいを感じます。もともとハーブティーのためにハーブを加工することしか考えていなかったのですが、「フレッシュハーブを使いたい」という声をいただいたことで意外な需要にも気づかされましたし、これまでは花苗を卸して、残りを自分たちのペースで販売していたところがありましたけど、丹沢HERBSというブランドを構えたいま、 “何を求められているか” をもっと意識して、世間のニーズに応えていくために外部との接点を増やしていかなくてはと感じています。
-丹沢HERBSの商品名は、「いっぷく」「ひらめき」「静心」など、ユニークでありながらも日常の飲むシーンを想起させますが、商品のブレンドやネーミングの由来についても教えていただけますか?
河野:商品名はコピーライターさんにお願いしているのですが、ハーブティーがオシャレな場所に登場するアイテムとして消費されている昨今の印象があったので、丹沢HERBSはそうではなく、もっとクオリティにフォーカスしてもらうべきだと感じていました。パッケージに極力英語を使わず、日常に馴染むシンプルな佇まいにしてもらったのもそのためです。「ひらめき」「静心」のネーミングは、服部さんにブレンド時のイメージや単語を共有してもらい、それを基にみんなで決めました。「丹沢HERBS」というブランド名についた “S” には “地域との歩み寄りと人との関わりなくして完成し得ない” という想いが込められているんです。
-この畑の今後のビジョンについて教えてください。
河野:畑をはじめた当初から植えているエルダーフラワーの木があるんですが、最近やっと大きくなってきて、2房だけですが花を咲かせてくれたんです。とは言え、とても小さな花なので、収穫や加工の方法は考えなければなりませんし、また新たな課題をみんなで解決していかなければですが、この畑のシンボルツリーとして定着させたいと思っているんです。この丹沢という土地と向き合いながら、健全なものをそれに見合う価格で販売していく。そうすることでエコサイクルのような循環を生み出していければいいですし、この商品の魅力を屈折させることがないよう、あまり大きくなりすぎない規模感を大事にしながら持続させていきたいですね。でも、最終的にはそういった刺激を得た先に、この商品を通して地域全体に交流を生んでいくような “きっかけづくり” まで叶えていきたい。
今度、近隣のお茶農園とコラボレーションするんです。実際にこの畑へ足を運んでいただき、地域連携というチャレンジも視野に秦野エリア全体を巻き込んでいけたらと思っています。
1983年、神奈川県秦野市生まれ。東京造形大学卒業後、弘済学園に入職し、現在は丹沢HERBSの畑で弘済学園の利用者とハーブを育てている。現在は、15種類(パッションフラワー、レモングラス、レモンバーベナ、ステビア、ジャーマンカモミール、ネトル、フェンネル、ゴツコラ、ペパーミント、ローズマリー、セントジョーンズワート、セージ、カレンデュラ、レモンバーム、エルダーフラワー)のハーブを、丹沢の土と水、そして人びとの手で丹精込めて育てながら、ひとつひとつ手作業で土づくりから栽培し、製造までを一貫して行っている。毎年1種類、新たなハーブの栽培にチャレンジしながら、今日も地域とのつながりをプロジェクトを通して模索、ハーブティーのある日常を提案している。
- Photo:Masayuki Nakaya
- Text:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)