Interview
料理家

内藤 千博

An Di 料理長

An Diが魅せる香りの世界
料理がつなぐ美味しい関係

「美味しい」と聞いて想像することは、きっと多くの人にとって味覚のはず。しかし、人間の味覚受容体が33種類なのに対して、嗅覚受容体は約400種類と、「美味しい」を構成する要素は嗅覚の方が遥かに多様で幅広い。
外苑前のモダンベトナム料理店「An Di(アンディ)」で料理長を務める内藤千博さんは、そんな嗅覚を刺激する香りに魅せられたシェフのひとり。言わずと知れたフレンチの名店「 L’Effervescence(レフェルベソンス)」で経験を積み、フレンチの技術とエスニック料理、そして、季節を感じさせる和を融合した、味、香り、色彩、テクスチャーが織りなす食のダイナミズムは絶妙なバランスで引き出され、モダンベトナミーズを確立。香りとともにある料理の周りに生産者と消費者をつなぐオーガニックな関係性を築いている。

-内藤さんがAn Diの料理長に就任するまでの経緯について教えてください。

内藤:An Diをはじめる前は、「 L’Effervescence(レフェルベソンス)」というフレンチレストランで約10年間働いていたのですが、ある時、同店でペアリングを担当していた大越からエスニックレストランをはじめたいというお話をいいただき、An Diで料理長として働くことになったんです。あっという間に6年が経ちました(笑)。

-L’EffervescenceからAn Diに移っても引き継がれている精神があるとすれば、どのようなことでしょうか?

内藤:L’Effervescenceが大切にしている生産者さんとの関係性やリスペクトのようなものをずっと間近で見てきたので、それは今でも変わりません。もちろん料理の技術はそうですが、互いに関係性を築き合うような感覚が身についたのは、他では経験できなかったことかもしれないです。生産者さんの畑や人柄、食材を飛び出して得ることのできる情報から、素材の活かし方やポテンシャルの引き出し方が見えてくるんです。そもそもの料理をつくるモチベーションやアイデアにもつながったと思っています。

-料理長としてAn Diに立たれてみて、いかがですか?

内藤:今までにないプレッシャーのようなものは感じますが、お客さんの反応をダイレクトに体感できますし、心地良いです。今、いちごの生春巻きをコース料理で出しているのですが、お客さんにはビジュアルから喜んでいただいていますし、そのことを週末に開催されている青山ファーマーズマーケットで生産者さんに伝えることで、喜びがシェアできる。この店でいただいたリアクションは、ちゃんとそれをつくってくれた生産者の方にも伝えたいんです。それがきっと彼らのやりがいにもつながると思うので。

-お客さんにいただいた言葉を受け止めて終わるのではなく、今度はそれを生産者さんに伝え、「美味しい」を連鎖させている。L’Effervescenceから受け継いだ精神にもつながるところですね。
フレンチを経て習得した技術をエスニック料理と融合し、モダンベトナミーズとして昇華させている内藤さんですが、香りを前面に押し出した料理のヒントはどこから得たのでしょうか?

内藤:料理のインスピレーションを求めて海外へ行くことが多いのですが、なかでも東南アジアへ行った時にベトナムで食べたフォーが衝撃的だったんです。そんなに特別なお店というわけではありませんでしたが、そこにいる誰もがザルに山盛りに盛られたハーブをそれぞれが好きなだけ乗せて食べていたんです。ハーブを入れるとガラっと香りが変化して、咀嚼することで口のなかにいろんな香りが弾けるんです。日本にはない光景でしたし、その時の鮮烈な体験に衝撃を受けてしまい、今でも鮮明に覚えています。それで、これを日本の食材と組み合わせてみたいと思うようになりました。

-普段からコース料理のペアリングとしてお茶やナチュラルワインを出されていると思いますが、時期によってはハーブティーも出されているそうですね。今回は、丹沢で土づくりからハーブを育て、収穫からパッケージまで一貫して手作業にこだわる丹沢HERBSのハーブティー「ひといき」を飲んでいただきましたが、率直な感想を聞かせてください。

内藤:お湯を注いだ時点からいい香りがしてきたのですが、口のなかで余韻が残る時間が長いことが驚きでした。香りだけではなくて味にも厚みがあるので、それが余韻につながっていると思うのですが、余韻があることで料理とのペアリングもしやすいですし、味が濃い料理にも負けない印象を受けました。

-An Diの料理ではたくさんの香りを味わうことができますが、ハーブはどのように選んでいますか?

内藤:シーズンにもよりますが、夏場はミントなどのフレッシュハーブが多く穫れるので、どの料理にもよく使用しています。ノコギリコリアンダーという香りのいいパクチーはいつも探しているハーブのひとつなのですが、あまり需要がないのか、つくってもすぐにやめてしまう生産者さんが多くて、見つけるとついついテンションが上がってしまうんです(笑)。日本には四季があって、季節の移り変わりを楽しめるのが日本人だと思っているので、その時々の気候で無理なく育つ食材が人間の身体にも合っているような気がしますし、そういう食材を使用することを心がけています。

-相対的に料理を表現する上で、やはり香りは外せない要素になりますか?

内藤:コース料理には、ほとんど100%何かしらの(フレッシュ)ハーブを使用しています。それは、ただ料理の飾りというわけではなくて、このタイミングでディルやミントが口に入ることで、さらに一段美味しくなるといったように、料理を表現する上で必要な歯車のひとつだと考えています。もともとエキゾチックな香りが好きだったというのはありますが、こういった世界観をもっと多くの人に体験してもらいたいんです。

-現在のコース料理の内容を少しご紹介いただけますか?

内藤:コース料理は2ヶ月ごとに変更しているのですが、最初にアミューズとして小さいバインミーサンドイッチが出てきて、その後に茶葉を発酵させたうちのシグネチャーディッシュであるティーリーフサラダ、その次にベトナムの朝ごはんに出てくるシジミのお粥が前菜として出てきて、それからいちごの生春巻き。魚料理は、和歌山県の稚鮎を使用していて、菊芋とにんじんの生酢で合わせて南蛮漬けのような感覚で楽しめる一皿に。メインディッシュは、発酵させた茶葉で豚肉をマリネしたものを茹でて、それを数種類のハーブ、ブラッドオレンジと一緒に葉っぱで巻いて食べます。フォーは、キャベツでポタージュのようなスープを仕立てて、そこにハーブや薬味を加え、ホタルイカを添えています。デザートには、ココナッツミルクのプリンにスパイスを効かせたりんごのシャーベットを出しています。

-今が旬のいちごの生春巻き、食べてみたいです(笑)。内藤さんにとって、こういった創作料理をつくる上でのインスピレーションの源泉はどこにあるのでしょうか?

内藤:先ほどお話した青山ファーマーズマーケットには毎週通っているのですが、最低限これはマストでという食材はメモしながらも、何を買うかは決めきらず、マーケットを歩いて農家さんとの会話を楽しみながら偶然出会ったものをその時の気分で買うようにしています。そうすることで思わぬ方向からアイデアが降ってきたり、インスピレーションを得ることができるんです。例えば、次のコース料理を考えている時に、大豆、小豆、いちごが横並びになったお豆腐屋さんのブースが目に飛び込んできて、イメージが降ってくる。これっていちご大福じゃん、と(笑)。実は、いちごの生春巻きはそこからのアイディアでした。

-いちご春巻きのテーマはいちご大福だったんですね。セレンディピティを楽しめる余地を残しておくことって大事なのかもしれません。
今回は、丹沢HERBSの「ひといき」とのペアリングにいちご大福を選んでいただきましたが、どのような考えからでしたか?

内藤:最初はフォーや生春巻きをつくろうと思っていたのですが、「ひといき」を飲み、自分がこのハーブティーを飲みたいシーンを考えてみたら、リラックスしたい時だったんですね。そういう時に一緒に食べることを想像したら、お茶菓子なのかなと。それで、旬の食材でベトナムを感じながらもハーブティーと合う食べ物を考えていたら「いちご大福」に辿り着きました。ハーブティー、いちご、モチモチ食感の生地。それらをつないでくれるのがココナッツミルクの香りだと思ったので、今回はあんこではなくココナッツミルクを餡に使用することにしました。

-「ひといき」といちご大福をペアリングした感想を教えてください。

内藤:みなさんが家でもハーブティーに合わせてつくれるよう、身近な食材でいちご大福をつくってみたのですが、今回の組み合わせの肝であるココナッツミルクがハーブといちごをつなぐ橋渡し的な役割をしてくれています。香りはさることながら、味にも厚みがある「ひといき」なので、いちご大福と一緒に飲んでも負けないんです。むしろ、最後までハーブといちご、ココナッツミルクが心地よく鼻から抜けていくはずです。ディルやミントなどのフレッシュハーブも添えているので、咀嚼すればさらにもう一段階香りが広がり、最後まで飽きずに楽しめると思います。できたてのモチモチ食感をスムーズなハーブティーと一緒に味わうペアリング体験。ぜひ、アイスではなく、香りが立ち上がる温かい状態で楽しんでいただきたいですね。

いちご大福の材料

<ココナッツ餡>
バター 50g
砂糖 30g
コーンスターチ 20g
水 20ml

<生地>
白玉粉 50g
水 100ml
砂糖 10g

料理家
内藤 千博
An Di 料理長

1983年、埼玉県生まれ。言わずと知れたフレンチの名店「L’Effervescence」でフレンチの技術と生産者との関係性を学び、2018年、同店のペアリングを監修していた大越氏との出会いが契機となり、外苑前のモダンベトナム料理店「An Di」の料理長に就任。ハーブを多用しながら、香りを軸に味とテクスチャーが織りなす美しい料理で「モダンベトナミーズ」を確立すると、今日までに多くの食通を魅了し、創作料理を通して新たな食体験を提供している。

An Di
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3丁目42−12
OPEN:火〜日 18:00〜23:00、土日 12:00~13:30(定休日:月)

An Di
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  • Photo:Masayuki Nakaya
  • Text:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)